「寛政の三奇人」という言葉を最近知りました。
寛政の三奇人
かんせいのさんきじん江戸後期の寛政(1789~1801)のころ、海防の緊要性を説き『海国兵談』を著した林子平(しへい)、勤王を提唱し諸国を遊説した高山彦九郎(ひこくろう)、歴代天皇陵の荒廃を嘆き『山陵志(さんりょうし)』を編纂(へんさん)した蒲生君平(がもうくんぺい)の3人は、ともに奇行の多いことで有名であった。幕末には、この3人をまとめて三奇人とか三奇士と称した。もちろん単に奇行のみならず、時弊を先取りして嘆じ、また幕末に中心的な課題となる国防や尊王を、早く寛政のころに論じた3人の共通性が、この呼称の背景にあった。
「寛政の三奇人とは~コトバンク」 https://kotobank.jp/word/寛政の三奇人-470430 より
奇行の多いことで有名だった人たちが、後世まで語り継がれていることが不思議。
メンタル折れずに何かをやりきった人たちだと感じました。
この言葉を知って、社会学者の宮台真司が何かの動画かラジオで、
「最近の人は、自分をキャラ立てすること(で自分への周りからの評価や目線をコントロールすること)すら知らない」
と言っていたのを思い出しました。
そうか。奇行の多い「奇人」か。
「奇人になろう!」そう思って、今夜久々にブログ更新しました!
令和の奇人はまだまだこれから😅
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